2007年4月27日付けの中日新聞に、「道徳教育必要ない」と題する記事がありました。これは、文部科学相の諮問機関・中央教育審議会の山崎正和会長が記者会見で述べた内容を紹介する記事で、氏は倫理教育や道徳教育について「学校制度の中でやるのは無理がある。道徳教育はいらない」と、授業で教えることに否定的な見解を示した」と記されています。
同記事には、氏の意見は次のように紹介されています。
「山崎氏は「人のものを盗んではいけないかは教えられても、本当に倫理の根底に届くようなことがらは学校制度になじまない」と話した。(中略)「代わりに順法精神、法律を教えればいいと話した。」
「山崎氏は「歴史やめるべきだ。わが国の歴史はかくかくしかじかであると国家が決めるべきではない」とも指摘。「歴史がどうで あったかは永久に研究の対象」と述べ、同じ事柄を正反対に記述 した歴史文学二冊を読み比べさせることを提唱した。」
教育荒廃についての議論は近年かしましいですが、山崎会長の発言は非常に大きな意味があると感じております。確かに「学校教育とは何か」を議論する中で、倫理教育や道徳教育について「学校では無理」と断定的に表現することは、現代の教育現場の現状、日教組の考え方等を勘案すると、大きな波紋が起こるのは避けられません。しかし、そうだからといって、学校教育の基本方針からこれらを完全に外してしまうことは、私自身賛成できかねます。
確かに、倫理教育や道徳教育というのは、本来は家庭教育でしっかり行うべきではあります。しかし、それを教えるべき親年代が、子の問題に対して最も再教育の必要な年代です。家庭ですべき躾が放置されている現状を補うため、せめて学校で倫理・道徳教育の場を設けるというのも、今後世代から世代へと受継がれていく教育の流れの中で、必要な措置なのではないでしょうか。
ただ方法として、例えば教育勅語等を出して行うというやり方もありますが、そのものをそのまま出すというのは時代感覚にあいません。現代の時代背景を踏まえて、学校教育の見直しと家庭教育の見直しを、外部環境から整えることが重要なのではないかと強く感じています。どんな方法を選択するにせよ、多少の問題は生じてきます。それを克服しながら、学校教育の見直しを含め、倫理・道徳教育に社会全体として取り組まなければならないのではないでしょうか。
また、歴史教育についても、止めるべきという意見も多く耳にしますが、私自身は必要性を感じています。確かに国家にはいろいろな形があり、国家の行動により犠牲になった多くの人たちの心情を考えると、国家の定義づけは非常に難しい問題です。しかし、国を思う心を育成するために、やはり歴史教育は欠かせません。最近、日本歴史が高校で必須でないことを知って、それで良いのかと思うのは、私だけでしょうか?
諸外国、特に米国等は、教師が子供達を博物館に引率し、歴史絵画等について熱心に生い立ちを説いています。私も海外の博物館でこのような光景を再々見てきましたが、日本ではこういう場面に出会ったことがありません。日本国民としての自覚を促す意味でも、我々の国家の生い立ちについて学ぶことは大切だと感じています。故に、歴史教育をやめるべきという意見には賛成できかねます。むしろいろいろな形で歴史の事実を伝え、それを一人一人がどう捉えるかという視点を育成することが、教育の現場においてもっと推進すべきことではないでしょうか。
いずれにせよ、社会全体で考えていかなければならない重要な課題です。
名南経営センターグループ 代表
税理士・不動産鑑定士・CFP 佐藤澄男
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